精神科特例を許さない

精神科特例を許さない

 

精神科特例とは??
   医師  看護婦
一般病棟  クライエント16人に1人の医師  クライエント3~4人に看護士1人
精神科病棟  クライエント48人に1人の医師  クライエント6人に看護士1人

 

 
 

精神障害者ピア・サポートセンターこらーる・たいとう代表
加藤 真規子

 1965年精神衛生法ができた当時、日本の精神病院のベッド数は17万床でした。現在は33万床です。精神衛生法がら、宇都宮病院事件を契機に精神保健法に、そして精神保健福祉法へと、私たちにかかわる法律の名前がかわっても、実は根本は何も代わっていないのです。むしろ諸外国が地域福祉、地域保健サービスに転換をはじめた時代に「らい予防法」を見習うように「精神衛生法」ができました。

 
 そして医療法の中に精神病と結核が「特殊病院」と位置付けられ、安直のマン・パワー、技術、設備で精神病院はどんどんベッド数を増やしていきます。「牧畜業」と日本医師会の会長に言わせた精神医療の始まりです。

 遠い精神病院に収容され、故郷をうしなった人、説明のないまま何度も電気ショックを受けた人、コンクリートの壁にかこまれた保護室に入れられ、強い薬でのどが渇くので「水をください」と頼んでも、水がもらえず便器の水を飲んだ人。静かに休みたいのに避難民のテントのようなプライバシーのない病棟など、多くの精神障害者が精神医療の中で体験したことです。日本の精神医療は「治療」ではなく「隔離・収容」の道を歩いてきたのです。精神病になったことより、「精神病院に入ったショックのほうが大きかった!」と多くの仲間が言います。「人間的尊厳」を失いことが、人間にとってどんなに破壊的なことか考えてみてください。

皆さんはご存知のことと思いますが、現在日本でも他障害や高齢者の分野で進んだ在宅福祉は、イギリスの精神医療改革に減をはっしています。

217万もの精神障害者がいると厚生省は言います。にもかかわらず「精神障害」は一般の市民にとっては「怖いもの」であり、「ひとごと」として過ぎていく日本。欧米で地域精神保健が進んだ背景には、精神医療は国が責任を持ち、精神病、精神障害への偏見・差別を取り除く活動を国が精力的に行っているということがあります。

私たち精神障害者にとって、日本に「医療」と「社会福祉」はあるのだろうかと考え込まざるを得ません。「医療」とは人の「命」を救うものであり、「社会福祉」とは人の「暮らし」「生活」を支援するものであるはずです。

 厚生省は「他科並みの医師を配置するためには、なかなか精神科医のなり手がいないので75年かかります」とおっしゃいます。日本医師会は「医師そのものはむしろ余っています。精神科医のなり手がいないのは、医師が持っている精神病への偏見と保険点数の問題だと思います。」日本精神病院協会は「努力はしていますが、確かにひどい病院があります。看護婦さんも正看の免許を持っていないと仕事ができなくなるのに、準看の方が精神科に多く、それが悩みの種です」とおっしゃっています。

 75年も私たちは待てません。私たちは多くの応援してくださる人々とともに、日本の人間を人間とも思わない歴史そのものを、精神医療そのものを、これから生きていく私たちみんなのために問おうと立ち上がったのです。

 もうそこに21世紀が生まれようとしています。20世紀は戦争の世紀であり、競争の世紀でした。新しい世紀は「完全」を求めて、人と人との繋がりが「競争する関係」になるのではなく、ひとり一人の「存在のありようの違い」を認め、「完全さ」よりもお互いの「命の温かさ」や「生活のにおい」を感じあう関係を作る世紀にしたいものです。ひとり一人の「命の重さ」を真実大切にしていれば、そこにこそ「人権」があり、「権利擁護」はあるはずです。

日本の精神医療が変わらなかった根本に黒々く横たわっているのは、「国」が持っている精神病、精神障害者に対する「偏見・差別思想」に他ならないのです。なぜなら、精神科特例だけではありません。私たちは結核条項で多くの権利を奪われています。私たちを取り巻く法体系そのものが「差別的」なのです。

私たちは諸外国の結核条項を調べてきましたが、今度は諸外国の精神医療のレベルを「私たち自らの手」で調査し日本と比較しようと考えています。